巻の零 はじめに…


岡山にあった元東京都知事故安井誠一郎氏の生家 津島公館 (平成20年老朽化により解体された)
岡山にあった元東京都知事故安井誠一郎氏の生家 津島公館 (平成20年老朽化により解体された)

建物の上にまず大きな甍(いらか)を伏せて、その庇(ひさし)が作り出す深い廣い(ひろい)蔭(かげ)の中へ全体の構造を取り込んでしまう。寺院のみならず、宮殿でも、庶民の住宅でも、外から見て最も眼立つものは、或る場合には瓦葺き(かわらぶき)、或る場合には茅葺き(かやぶき)の大きな屋根と、その庇の下にただよう濃い闇である。

 


中略

 

 

 

左様(さよう)にわれわれが住居を営むには、何よりも屋根と云う傘を拡げて大地に一廓(いちろう)の日かげを落し、その薄暗い陰翳(いんえい)の中に家造りをする。もちろん西洋の家屋にも屋根がない訳ではないが、それは日光を遮蔽(しゃへい)するよりも雨露(うろ)をしのぐための方が主であって、蔭はなるべく作らないようにし、少しでも多く内部を明かりに曝す(さらす)ようにしていることは、外形を見ても頷(うなず)かれる。日本の屋根を傘とすれば、西洋のそれは帽子でしかない。

 

谷崎潤一郎 陰翳礼讃 (中公文庫)より

 

 

 谷崎潤一郎の随筆陰翳礼讃(いんえいらいさん)は「経済往来」昭和12月号と月号に掲載された。電灯がなかった時代を懐かしみ、電気の配線などを上手く隠して日本家屋と調和させることの葛藤が綴られている。谷崎潤一郎は西洋の住まいは可能な限り部屋を明るくし、陰翳を消す事に執着したが、日本はむしろ陰翳を認め、それを利用する事で陰翳の中でこそ生える芸術を作り上げ、それこそが日本古来の芸術の特徴だと主張し、建築、照明、紙、食器、食べ物、化粧、能や歌舞伎の衣装など、多岐にわたっての陰翳の考察をしている。

 

 

もし日本座敷を一つの墨絵に喩(たと)えるなら、障子(しょうじ)は墨色の最も淡い部分であり、床の間はもっとも濃い部分である。私は、数奇(すうき)を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光と蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する…“

 

谷崎潤一郎 陰翳礼讃 (中公文庫)より

 

 陰翳礼讃には日本の住宅は大きな屋根が特徴で、その下に広がる暗闇が日本独特の美意識であり、金箔が施された屏風も照明の下で見れば派手に見えるが、当時のほの暗い室内では外部の光を反射するリフレクターの役割があったと説明している。

 

 

 

家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。

暑き比わろき住居は、堪へ難き(たえがたき)事なり。

深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。細かなる物を見るに、遣戸(やりど)は、蔀(しとみ)の間よりも明し。天井の高きは、冬寒く、燈暗し(ともしびくらし)。造作は、用なき所を作りたる、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。

 

吉田兼好 徒然草第五十五段

 

 鎌倉時代の末期に書かれたとされる吉田兼好(けんこう)の「徒然草(つれづれぐさ)」にも家づくりに関しての記述がある。上の文を現代語に訳せば、「住まいを建てるなら夏を考えて造りなさい。冬は住もうと思えばどこでも住めるが夏暑いのは耐えられない。庭に川を流す場合は深いより、浅く流す方が遥かに涼しく感じる。室内の細かな部分を見る時には吊すと影が出来る建具(蔀)より、引き戸(遣戸)の方が明るく、部屋の天井を高くすると冬は寒く照明も暗くなる。新築の時に必要無いと思う部分も造っておくと目の保養にもなり、いざという時には役に立つ事があるかもしれないと建築士が言っていた」といったところである。

 

 

“そのうちに普請がはじまった。材木をひいてきた馬や牛が垣根(かきね)に

つながれているのを

伯母さんにおぶさってこわごわながら見にゆく。”

 

中勘助 銀の匙(岩波文庫)より

 

 中勘助は明治18年生まれの詩人で、この「銀の匙(さじ)」がデビュー作である。病弱な幼少時代に叔母とすごした生活が素直な文章で綴られており、この中で家を建てる描写がある。

 

 普請とは、広く平等に資金・労力の提供を奉仕することであり、社会基盤を地域住民で作り維持していくことで近代まで住宅建築は地域の公共工事であり、それを支えるのが地域扶助の精神であった。この地域扶助の考え方は「結(ゆい)」あるいは「もやい」と呼ばれ、小さな集落では無償で手間と材料を出し住民総出で共同作業をおこなう相互扶助の精神である。現在も一部の地域では田植えや茅葺き屋根の葺き替えでおこなわれる。「結」の対義語は、「やとう」あるいは「やとふ」で、「家問う」が原義(げんぎ)と言われる。「やとう」とは頼むべき家々をまわって労力の提供を申し入れ、それによって助けられれば自分の家もそれに応じて返すことを前提とする。これは、現在の「雇う」という考え方となっている。

 

 現在の住宅は個性があり、機能的にも性能的にも世界に誇れる高い水準を持ったものであり、現代の生活様式は欧米化している。いまさら現在のライフスタイルにマッチしない伝統的な古民家にそのままの姿で住んでもらいたいとは思わないが、先人たちの様々な知恵や工夫を学び、どのような思いで住宅を造ったかを理解することはこれからの循環型建築社会の中でも意義のあることである。

 

 本書は古民家解體新書(かいたいしんしょ)と名付けた。オランダ語の医学書「ターヘル・アナトミア」を江戸時代に杉田玄白らが訳した「解體新書」から名前を頂いている。「體(たい)」という文字は骨に豊かと書く、体、姿を現す文字だが古民家の骨太の構造体にあう文字である。むろん本書は本家の解體新書」とは比べられない稚拙(ちせつ)なものだが、古民家を日本の住文化と捉え、先人への畏敬の念とともに未来の子どもたちの為に残して行きたいという想いで書いている。本書は古民家鑑定士を始めとするいくつかの資格の学習用教本として活用されており、本書を読んでもらうことで、古民家に興味を持っていただくと共に資格取得を目指す皆様の少しでも役に立てればと考えている。

 

平成二十七年五月三十一日(古材の日)

                                          

                                     著者 川上 幸生

陰影礼賛は下記の写真をクリックすればアマゾンより購入できます。